読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

47話大犬塚おおいぬづかー  

 町のほぼ中央にある大沼のほとりに「大犬塚」の地名はあります。
 大犬とは「狼」のことです。日本では明治時代までに絶滅したとされますが、人々の身近に意識されていたことは、多くの記録や伝説など歴史・民俗資料から知ることができます。
 地名の「大犬塚」とは狼の塚のこととなります。本文では狼と塚に分けて考えてみたいと思います。

 まず狼ですが群れで行動することが多く兎などの小動物や鹿・猪なども獲物としていました。畑を荒らす動物を獲物とすることに農村では食害を防除する神として信仰されました。人を襲う場合もかなりあったようで、早くには奈良時代に編纂された各地方の風土記に見え、多くの人を食らうので「大口真神」と呼んで恐れたとあります。
 また一方で受けた恩を忘れないなど義理堅い霊獣ともイメージされていたようです。秩父山地に近い県西部地域ではこのような記録がしばしばみられます。同時に狼に対する先のような信仰も篤く見られます。
 古代からこの地域の信仰の中心であった三峰山は、大和武尊が東征の折り狼の案内によりここに至ったと伝えられ、三峰神社の創建とその眷族としての狼への信仰が始まったとされます。江戸時代には、この狼を信仰する者を組織化した講が三峰山だけでなく宝登山、釜伏山、御獄山などでも発達し、秩父地方から荒川流域そして外秩父山地から多摩地方へと浸透し、武蔵の国を越えて東北地方まで修験者・山伏などによる活発な布教がされました。町場には火防や盗難除けとして狼の姿のあるお札を配付して歩いていました。今でも門口に貼られた「大口真神」のお札を知る人は多いと思います。
 また、昔も今も多くの信仰が同居するのは日本の特質で、伊勢信仰の広まりと共に伊勢神宮を「大神宮」つまりオオカミ様と呼ぶと、音で狼と同音になることをはばかり、狼を山犬または大犬と呼んだともいわれます。

 塚は前にも述べましたが墓ではなく目印として境界の地に築かれたものをいいます。境界の場所とは土地の区分や現世と他界との境などの観念的なものまでイメージされていました。
 この境界を探し出す力を持つのは狼や「花咲かじいさんのポチ」などの犬族でした。
 大犬塚の地名は小江川地内ですがほぼ地区との境界にあります。現在は涵養林となる山林中に塚を探すことは難しいのですが、かつては実在したものでしょう。地名の由来はこの塚にあると思いますが、狼の名を冠したのは、塚を損なつてはならないという意図があったと思えます。

 このような重要な目標物の設定には、旧村間での地境の問題が背景にあったとも考えられます。


大沼付近の航空写真
大沼付近航空写真


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