読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

14話小江川おえがわー  

 小江川」の地形は、丘陵と谷、そして丘陵の裾を東西に流れる和田川に面した低地と台地です。この景観に地名の由来を秘めています。奈良・平安時代の頃、旧江南町は男衾郡に属していました。現在の市町村に当たる地区割を郷と呼び、「和名抄」に記された「大山郷」の故地とも考えられています。

 鎌倉時代末期、嘉元四年(1306年)に「武蔵大江」と記された文書があり、「オオエ」と読まれています。これは室町院と呼ばれた後堀川天皇の皇女の持つ荘園の所在地を記した領地目録です。また、室町時代では正平七年(1352年)、足利尊氏が家臣へ与えた領地に「小江郷」の名がみえます。きらに、鎌倉円覚寺文書・正長元年(1428年)、足利持氏の領地寄進状に「大里郡大江郷」がみえます。戦国時代末、武田家の旧家臣たち「武川衆」へ徳川家より与えられた知行地名に「徳川之郷」があります。天正二十年(1592年)のことです。

 地名辞典によると、オエ・コエ・オイにカワを足して「オエカワ」を説明します。オエは 「麻植」とあり、麻を植えた地です。コエは、川・溝・堀を越えた場所と、土地が肥えている場所の意味があります。また、オには丘陵や山の裾・ふもとを指し、エガワは溝状の小川を意味します。いづれの説明も該当するようですが、最後の説明がもっとも妥当でしよう。松林に被われたゆるやかな山裾を流れる和田川と田畑の風景・谷合の斜面に居並ぷ家並のたたすまいが想い浮びます。「小江川」も丘陵・谷地形が発達しているため、谷田・溜池か数多く造られています。最初の農地開拓が行われた時期は「」とあまり差がないようです。先年、釜場地区を発掘調査した際、古墳時代初期の集落が現われました。一辺8.5mの竪穴住居は当時でも特大の家らしく、ムラの中心人物が住み開拓の指揮を執ったのでしよう。もしかすると、塩古墳群の主たちと親戚であったかもしれません。

 高根神社は、地域で最高峰の高根山にあったといい江戸時代に現在の場所へ移ったようです。祭神の一人は、味■高彦根命(アジスキタカヒコネノミコト)です。この神は、鉄の生産や鉄の道具、特に農具を総括する神です。鉄の利用は古墳時代にあまねく広まっており、旧江南町内の遺跡からも鍛冶跡がみつかり、古墳からは刀・矢尻などが出土しています。他の祭神はイザナギとイザナミで、この二神は国土創成の神です。三神の象徴するところは明瞭です。それは新しい国づくりとして、米作り、鉄などの技術を導入し、農地開拓を進め、豊かな土地にすることです。「板井」の出雲乃伊波比神社と共に古い時代に創建された神社のひとつと考えられます。


 高根神社祭礼の写真
高根神社の祭礼

もどる