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   新島にいじまー  

1.もとは玉井村の内であったのを文禄のころ新島右近が開墾し一村となしたので、開墾者の名をとって村名にしたものとみられる。〔新記、埼玉県地名誌〕
慶長13年の水帳には、玉井村新島分と載せ、正保の改めには玉井新田と記され、元禄の改めには、新島村と書いている。
文禄(1590年頃) 慶長13年(1608) 正保(17世紀中期) 元禄(17世紀後期)
新島右近の開墾 玉井村新島分 玉井新田 新島村

2.古図古文書によるとこの地域に京円島村という村があり、ある古記録の文化3年2月の条に「京円島村改新島村」と記され、京円島村が古い名前で、新島村に改められたことがわかる。一説によると、玉井村の地籍であった時は、京円島村とよばれており、その後大きくなり、独立して一村をなした時、新しくできた島(シマには村落の意味もある)ということで新島村と改められたと思われる。〔熊谷市史稿〕




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