読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

36話的場まとばー  

  初詣の帰途破魔矢を授かり、家庭に祀ることが多いと思います。弓・矢の威力を期待した先祖の想いがこの習慣に残っているのだと思います。
 弓矢に係わる地名は、現在の小字地名には表記されていませんが、「的場」 という呼び名が板井地区にありますので、土地の地形・性質・歴史的背景などを手がかりに地名の由来を考えたいと思います。
 現材の「的場」は、主要地方道熊谷・小川線より分岐し 県立循環器病センターへ至る路線上にあります。山林・宅地・畑地の混在する場所で板井字新田に含まれますが、「中島・天神・氷川・山ノ神」などの小字地名が周囲にみえます。先述の道路が地割境界に一致するため、道を基準にした地割が行われたと考えられ、道路の設置自体が古いと推定されます。
 奈良時代に創建された寺内廃寺へ続く参道は、この道に継ると推定され、さらに南へはやはり奈良時代以来所存したと考えられる出雲伊波比神社へ至る古道が連続していたと思われます。
 そして、ちょうど東西方向の道と南北方向の道の交差点に「的場」が位置します。この様な道路・交差点付近は民間信仰や行事による儀礼・祭祀が良く行われています。
 弓矢は、原始時代から戦国時代に鉄砲が伝来するまで最強の武器でした。実物資料が多く、絵巻に描かれた合戦の場面にも登場しています。武器としての威力は信仰の対象となり数々の信仰か伝っています。 鳴弦とは、弓の弦を鳴らし、魔物を追い払うもので宮中でも行われています。
 上棟式に、弓矢の飾りを乗せることや、棟木に弓矢を取り付けることも新築の家に災厄を寄せつけまいとする願いがあります。
 弓に矢をつがえ、実際に的を射る行事もあります。良く知られた流鏑馬は、現在でも県内各所に伝っており、疾走する馬を抹りながら騎乗より的を射抜く射技は至芸の極にあります。
 中世の武士は、弓矢の術を練磨し合戦に備えました。寄居町男衾付近を本拠地としていた男衾三郎の登場する絵巻物には、据的を射たり、犬などの動く標的を狙う様子が活き活きと描かれています。
 流鏑馬は運営か大変な行事てすが、的を射ることを主とした行事に 「オビシャ」 があります。 「オビシャ」は、弓で鬼などと書かれた的を射ることにより邪気や厄を払う目的や、矢の当り具合により作物の出来を占うなどの目的を持って行われています。旧江南町内では行われませんが、旧川本町菅沼の天神社では、初午の日に行われ、 「的場の儀」 と呼ばれています。
 「的場」は、文字通り弓矢に関係した地名と思われます。それが今は行われていないオビシャなどの摘射行事や、道筋の塞に由来するとも、全く別の事情があるのかもしれません。
 本文が、地名再発見の糸口になればと思います。


 的場付近の写真
的場付近近景

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