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   久下くげー  

1.文武天皇の世(701年)大宝律令によって定められた土地制度で、全国の国、郡、各々に国司、郡司、里長が置かれた。郡司の治所(郡役所のあるところ)を郡家と書き、訓読みでは“コオリノミヤケ”、音読みで“クゲ”“グウケ”と読んだところから転じて郡家の所在地を久下と書くようになった。〔地名の研究〕

2.「崩潰」を意味する古語である。“クケ”とは、水が漏って貫ける意味。洪水のために堤が崩壊されたために、この名が生じたと解される。
久下を地形的に見ると、古くは荒川の氾濫地域であった。よって、久下の名は、荒川堤の崩潰によって生じたと思われる。〔埼玉県地名誌〕

3.アイヌ語(Kukei、クケイ)で、川場漁をとるところの意味。久下は荒川のそばにあり、川でよく魚がとれたので、この名が生じた。〔大島〕




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