読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

44話合羽山かっぱやまー  

  日本語には同音異義語が多いため呼び名を表記するとき、どの文字を当てるかは書き手の識字力に影響されます。特に地名の場合、当字・誤記を前提として本来の意味を尋ねます。同時にその場所の環境を良く考えることが解明への早道になります。今回は成沢地内にある「合羽山」を取り上げます。
 カッパといえば直に河童と表記される妖怪・物怪の類が思い浮びます。川の淵・湖沼などに住むといわれ、民話に語られることが多いのですが、元は水の神として奉られていたようです。全国的に知られ残る河童伝承ですが町域には見当たりません。地名の残る場所は「
合羽山合羽山際」と広い地区なのですが、河ではなく「山」です。山に河童がいたとはやや説明しにくいのですが、沼や湧水などの水源があったとすれば「水神」と接点を見つけられそうです。
 また農事と結びつき、河童は春に山から迎え、冬には山に送る「田神」と等しく、稲田を守ると考える地域もあります。しかし、もっとも身近に語られるのは、悪戯者だけれどもどこか憎めない愛嬌のある姿のようです。
 雨具としての 「合羽」は戦国時代の人にポルトガル人により初めて持たらされました。材料には綿布や和紙を使い「桐油」を浸み込ませ防水用としたもので、マントのように身に着けました。桐油は初夏に白い花を咲かせる山桐ともいう「アブラギリ」の実から採り用材は普通の桐と同じくゲタやタンスにも活用されていました。しかし、地名の由来とするにはかつて多くの山桐が生えていたことが必要ですし、戦国時代以前は別の地名で呼ばれていたことになります。
 地名辞典などには前述の例を除くと、刈払う場所で草刈場の意味があり疎林と原っぱのような所になります。「
合羽山」の半分は御正新田の飛地ですが、これは江戸時代に新炭・秣・落葉を採る入合地であったためのようです。この周辺部の書かれた明治初年の絵図では人家は見えず、静簡院の南から伸びる谷と二つの沼がみえます。隣接する沼上の小字名の所・合羽山周辺は、水源地に当たります。
山林よりしみ出す清涼な水をこの沼に湛えていたと思います。このような沼には水神が住むと考えられ、そこには水よ涸れぬなとの祈りがあったと各地の事例が伝え、先人の思いを語ってくれます。
 上杉氏の居館跡との由緒を持つ静簡院がここに建立された条件の一つには、水に係わる優れた環境があったとしても良いと思います。山号寺名にみえる「龍谷山成沢寺」とは、水神・竜宮の主である龍神の住むところをイメージしたかのようです。また、
合羽山に白髭神の祠があったとされるのは、その神格である水源の神であったためかもしれません。


静簡院近景
静簡院近景


もどる