読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

   五安田ごあんだー  

町内の田畑地名には難解なものが多く、今では元の意味をたどれない場合が数多くあります。地名は本来、土地の利用に起原があることを考えると、そのことは地域の土地利用の歴史の長さと深さを物語っていると思われます。本文はこの様な難解地名を取り上げるため、幾通りにも解釈される説明のひとつとしてご理解ください。

五安田は三本地区にある地名です。土地改良以前は堀ノ内方面より南下する水路と上新田方面より東行する水路とが合流する場所でした。古図では水田の面積は六千平方メートル程で、他は畑地でしたが、今は水田が占めています。

文字と読み方から田に関係した地名と思えるのですが、その意味を知ることが安易でありません。
@アンダを安田の文字通り安心して耕作することのできる田とし、五を数字とすると5種類の何か(広く耕作に関係したもの?)を考えねばなりません。五は五穀(米・麦・粟・黍・豆)の意味とすると「作物の良く育つ田」と考えることもできます。また安田をアタと読むことができれば、「日当たりの良い土地」の意味があり、土地の条件・性質が注目されます。
A御料田・御油田のように五を御の替字とし、アンダを安堵(領地を保証すること)の変化として良いならば、武士や寺社の領地を指すことも考えられます。江戸時代には由緒の古い寺院・神社には朱印状が与えられ領地が保証されました。三本では安隠寺持の駒形神社に十石が宛がわれていました。米一俵を三斗五升とすると約二十八俵半となり、これを換金して灯明料や修繕費等の一部に充てていたようです。この様に土地の領有関係に由来したとも考えられます。

Aを発展して考えると、駒形神社領の十石の土地は三本にあったとする方が自然です。江戸時代と大きく変わりない昭和初年の統計では10アール(1反=300坪=991平方メートル)当り300キロの米が収穫されていました。米一石の重量を150キロとすると、300キロは二石に相当しますから十石は5倍になり1500キロです。この収穫を得る土地も5倍の50アール、約5反の土地が必要となる計算です。実際、地図上では五安田地内にはこの広さに見合う田圃があります。このことは、駒形神社朱印状に記された十石の領地に相当する条件を満たしています。しかし、検地帳や村方明細等の当時の記録をすべて検証していないので、また地元の伝承なども聞き逃しているおそれがあり、駒形神社領の場所の特定はまだできません。また、面積の視点からすると、五安田は五反田であっても良いわけですが、五反田から五安田に変化した理由が不明瞭です。このように歴史的背景を考えることも地名を知る手懸りとなります。


五安田地区空中写真
五安田地区空中写真

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