読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

41話弁才べんざいー  

  旧江南町内には、神仏にちなむと思われる地名がいくつかみえます。信仰がずっと身近だった時代に、神仏の(いま)す場所として名付けられたのでしょう。当然のことに、地名の付けられた時代は、その信仰が広く一般庶民まで普及していたとみることが適当で、他地域との状況とも相似たところがあります。
 前回にも、道祖神庚申塚を取り上げた際に、貴いとされる、または畏敬の念を持ってみられた神仏に関わる地名の場所は、その名が付けられるにふさわしい条件を備えている場合が多いと指摘してきました。今回紹介する地名も、その一例と考えられます。
  「弁財」は御正新田地区にあります。文字表記や読み方から、この「ベンザイ」は「弁財天」のこととすぐに判ります。それは「弁財天」が広く信仰されていたため、他の意味を考えることが難しいからです。ではどうしてこの場所に「弁財天」に関する地名が付けられたのでしょうか。
  「弁才」の場所は、御正新田地内の東辺・隣接する万吉地区との接点で、現在は武蔵丘陵森林公園広瀬線に面しています。土地改良以前も畑地となっており、北側に吉見用水路の溝が走っていました。水量も多かったとみえ、釣りをする人、水遊びをする子供達の姿を良く見かけたというところです。
 「弁財天」は、サラスパティというインド古代神話に登場する大河の神が本来の姿で、その力は水神の性格に加え、氾濫後の大地が肥沃な土地に再生するように再生と農壌、財福の力を持ち、また、流れる水の音にちなんで音楽・弁説の力を司る神とされます。インド古代神話の神は仏教に取り入れられ、「天」の称号がつけられ、「弁才天」または「弁財天」と呼ばれます。
 本来、水神であるところから蛇を神使とされ、特に白蛇は尊重されます。後に日本の神・宗像(むなかた)三神の一人、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と同一視され、技芸・漁業の神としても幅広く信仰されるに至りました。
 良く知られる俗信には蛇の抜け皮をサイフに入れておくとお金が貯るといわれていますが、「弁財天」との係りが感じられます。
 このような「弁財天」の信仰仏教の伝った頃からあったのですが、広く普及したのは中世以降とされ、真言宗系修験者、僧侶の布教活動が活発だったようです。本地区にも真言宗寺院は現存しますが、かつて押切に所在した「東陽寺(御正若宮坊)が当地方一帯を統轄する大寺でしたが、天台宗系なのでやや事情が異なるようです。
 しかし、用水路に注意してみると押切高堰、今は赤城神社に移転していますが成沢地内、そして御正新田では確認できませんでしたが「弁財天」の石造仏が建てられていたようです。江南地域の沖積地帯にみえる弁天信仰は用水と共にある水神信仰が良く顕われています。


 弁財付近の写真
弁財付近近景

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