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ひげ僧様(板井)

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大字板井関口治男さん方の墓地奥中央に、ひげ僧様と呼ばれる人の入定塚があります。ひげ僧様は関口家の先祖で、本名を関口栄三郎といい、江戸時代の末頃京都の寺で修行した修験者で、法名を権大僧都長寿院法印光重と称しました。ひげ僧様は法力によって、光明天皇の皇女の病気を快癒させ、その功によって菊の紋章入りの壺を拝領したと伝えられています。また、京都から一切経を持ち帰りましたが、後の人が妻沼歓喜院に寄付したとも伝えられています。
晩年、即身仏になるため、生きながら塚の中に入り、墓の中で、中空にした竹筒で、水と空気の補給を受け、鈴を鳴らし、お経を唱えながら、明治五年八月一五日入定したといわれています。墓碑の表には、大日如来をあらわす種子、下に次のような辞世の歌が記され、裏には南龍窟木食光重敬立と刻されています。
今ぞ知る弥陀の浄土は爰にあり
心のぼさつの居る古里
彼は多分、長いひげを生やしていたのでしょうか、ひげ僧様と土地の人から敬われ、夜泣きをする子供を連れてお詣りすると、夜泣きが止まるいわれ、近年までお参りする人があったそうです。
ひげ僧様(板井)