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コラム12 古代との遭遇4
        ー籠原裏第1号墳ー
 [登録:2010年07月20日/掲載:2012年9月06日] 
 


                                    

 「石がまっすぐ並んでるよ」、「こっちもそうだよ。でも、こっちは向きが違うよ」という作業員さんの声を聞きながら、「そこはそのままにして、西側に移っていこう」という調査員の指示で墳丘の残存部上面を東から西へ削って遺構の確認をしていきました。
 その結果、中央部に徳利形をした石室(死者を埋葬する施設)があり、中からは腰に大刀を水平に下げる刀装具が発見され、この古墳の被葬者の地位が高いことが判明したのです。
 さらに、この主体部を挟んで西側の墳丘端にも最初に東側で確認された折れ曲がる直線の石組みと対称を成す石組みが確認され、円墳ではなく多角形墳である可能性が非常に高くなってきました。しかも、それぞれの内角が135度前後を示すことから、平面形が八角形となり、地方では非常に稀な八角墳(八角形墳)であることがわかったのです。
 古墳の位置は、JR籠原駅のすぐ北側(国道17号線より南)の台地上にあり、平安時代の大洪水で埋まり、さらに上部は削られて桑畑になっており、古墳の存在は知られていませんでした。
 その後、区画整理事業で発見され、コラム11の大塚古墳と同様に埴輪を持たなくなった時期である古墳時代終末期(7世紀後半)に築造された古墳であることがわかりました。
 この特異な形の古墳は、北約2kmに同時期に造られる幡羅遺跡や、西別府祭祀遺跡などと密接な関連性が想定され、重要度を増しています。
(籠原裏第1号墳:南より) (籠原裏第1号墳平面図)


              参考文献
                2005年 『籠原裏古墳群』 熊谷市教育委員会
                2010年 「文化財コラム 古代との遭遇・第4話」『BUNKAZAI情報』第4号
                     熊谷市立江南文化財センター