寺内遺跡範囲確認調査(4/4ページ)

第3調査地点完掘状況の写真
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O第3調査地点完掘状況。
トレンチ内の高まりが道路跡の可能性が考えられます。
西より撮影。
 

第3調査地点火山灰検出状況の写真
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P第3調査地点火山灰検出状況。
下層の暗褐色土中に、帯状に確認された火山灰層。
平成13年に火山灰のテフラ分析を実施したところ、天明3年(1783年)に噴火した浅間A(As-A)に同定されています。分析結果は、こちら(PDF:383kb)を参照してください。
西より撮影。 

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所 見:今回の調査は、平安時代の古代寺院跡である寺内廃寺跡の南側の寺域の確認および参道と推定される道路跡の延長を確認する目的で行いました。寺跡の推定地より南へ約250mの地点にあたりますが、参道の延長部と推定される溝および道路跡が確認されました。
 溝跡からは、火山灰が検出され、平成13年度に火山灰のテフラ同定を実施しました。同定の結果は、道路の側溝と推定される南北方向の溝で検出された火山灰は、天明3年(1783年)噴火の浅間A、この側溝から分岐する東西方向の溝からは、天仁1年(1108年)の浅間Bの火山灰と分析されました。
 同じ溝で、異なる時期の火山灰が検出されており、この解釈が難しいところです。東西溝で検出された浅間Bは、寺内廃寺の廃絶時期に近く、寺院が機能していた時期には、この溝も機能していた事がうかがえます。もう一方の道路の側溝と推測される溝からは、浅間Aという江戸時代の火山灰が検出されています。あくまで想定ですが、この南北方向の溝および道路跡は、寺院の廃絶後も機能しており、側溝は、何度か溝さらいされ、最終的に機能しなくなり埋まりはじめたのが天明の時期であったのではないでしょうか。
 東西溝が寺跡とともに機能しなくなった点、および道路の側溝がその後も機能し続けた点、今後検討を要する問題であると考えます。