立野遺跡第2次発掘調査(4/4ページ)

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第16号墳石室完掘状態の写真
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22 第16号墳石室完掘状況
直径8mほどの小形の古墳。石室も小振りで、面取りしない凝灰岩を積み上げ、棺床面も、通常は扁平な礫が敷かれますが、本古墳は、こぶし大の凝灰岩が敷かれていました。玄室長は、大人が横たわるには小さすぎ、子供が入るにちょうど良い大きさです。
 凝灰岩は、きれいに面取りされたものではありませんが、石室は、平面胴張型を呈し、羨道部は凝灰岩で閉塞されており、前庭部も存在し、小さいながらも、きちんと設計されたものと思われます。
2002年12月27日撮影

第3号墳石室完掘状態の写真
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23 第3号墳石室完掘状況
他の古墳は、石室を構築するにあたって、石室床面を、旧表土面より若干掘り下げて設定していますが、この第3号墳に限っては、石室全体を地下に構築するように大きく掘り下げています。
 そのため、地表面が削平されていたにもかかわらず、3段程に積んだ石組が残っていました。なぜ、このような構造をとったのか不明ですが、マウンドが残っていないため、何とも言えませんが、地表面に石室を造り、マウンドを築くよりは、半地下式にしたほうが、盛る土量は少なくてすみます。ただし、古墳をモニュメントとして見た場合、その威厳は小さくなりますが・・・・・。ちょっと不思議な造りの古墳です。
2003年1月10日撮影

作業終了の作業員記念写真
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24 記念写真(第3号墳にて)
調査終了時の、お約束の記念写真です。
台風に始まり雪に終わった今回の調査でした。
お世話になりました。
2003年1月10日撮影

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所 見:今回の調査は、7,000uを超える久々の大規模な調査となりました。台風に始まり、雪に終わった調査ですが、調査期間がもう少し欲しかったというのが本音です。
 本調査区は、平成16年の埼玉県国体の馬術競技場予定地となっていますが、馬場は基本的には盛土造成のため、既に墳丘を耕作で削平されている、本古墳群は、保存される予定でした。ところが、国体終了後、町で跡地を公園造成する計画が持ち上がり、今回の調査となりました。
 旧江南町でも、古墳はこれまでかなり調査が行われてきましたが、一度に10基、しかも面的に調査できたのは、今回が初めてであり、貴重な資料を得ることができたと考えます。古墳は、いずれも円墳で埴輪を伴わず、7世紀代の古墳時代終末期に属します。周辺部には、墳丘の残る古墳も数基確認されており、総数では30基以上の終末期のみの古墳群ということになり、県内でも調査例の少ない古墳群と言えます。
 石室の遺存状態は、畑で既に削平されていたため、良好な状態では必ずしも検出されず、遺物も少なかったのですが、第12号墳から出土した、金銅製の毛彫杏葉は、県内でも初の出土例となり、貴重な発見になりました。現在、急遽保存処理の委託に出していますが、処理が終わりましたら、改めて紹介したいと思います。その時の表題は「馬術競技場から馬具が出た!」になるかも・・・・・。