中島遺跡2次調査(4/4ページ)
                    *画像をクリックすると拡大されます。


img0008.pcd.jpg
(49917 bytes)

R第5トレンチ完掘状況(東より)
手前が第3号住居跡(平安時代)


img0014.pcd.jpg
(53151 bytes)

S第6トレンチ完掘状況(北より)
手前が北側堀と土塁。


img0005.pcd.jpg
(33849 bytes)

21 第7トレンチ内第1号住居跡(平安時代)
床面直上から須恵器の坏(皿)が出土しています。


img0006.pcd.jpg
(34391 bytes)

22 第7トレンチ内第1号住居跡遺物出土状況
床面直上から須恵器の坏(皿)が出土しています。


img0007.pcd.jpg
(48202 bytes)

23 第7トレンチ内第1号住居跡遺物出土状況(北より)
床面直上から、ほぼ完形の須恵器の坏(皿)が出土しています。


img0012.pcd.jpg
(144026 bytes)

24 第8トレンチ完掘状況(東より)
最奥部に南北方向に走る溝が確認され、本館跡の西側を画する堀と推定されます。
土層の堆積状況をみると、僅かに土塁の痕跡が確認でき、後の開削でほとんど削平されてしまったようです。

前のページへ
所 見:今回の調査は、寺内遺跡の範囲確認調査の一環として行いました。土塁の方向と、寺内廃寺跡の伽藍の中軸線が同方向であることから、中島遺跡が、寺内廃寺に関係する人物の館跡の可能性も想定されましたが、実際に調査してみると、時期は中世以降で、寺内廃寺跡とは、無関係でした。しかし、寺内廃寺と同時期の住居跡が確認されたことから、当時は寺の前面に、門前町のように集落が広がっていたことが確認できました。